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ジャスコの前から小郡方向へ。
東田の交差点を過ぎて、橋の右手に
何やら熱帯密林系の植物が・・・
しかも川原に繁殖している。
よーく見ると、なんとな~くバナナっぽい。
同じ馬田地区上浦にはサボテンが
柿の木に襲いかかっているとこもあったっけ。
馬田って熱帯性気候?ホントに馬田原人はいたのか?
今年は不調だったので、甘木の方に観に行ってみてとのこと。
早速行ってみました。次回へ続く・・・
安近短が主流の昨今、この時期の秋月は格好の
ドライブ目的地で、桜並木に多くの人が押し寄せます。
去年も土日は、甘木インターから秋月まで数珠つなぎ、
秋月入り口は駐車場待ちで動かない状況でした。
今年も渋滞覚悟で花見に来られる方に甘木インターから
渋滞ナシで、早く行けるルートをご案内します。
タイトルの「秋月への早道」をクリックして地図を参照下さい。
詳しい道順は下に↓↓
渋滞ナシ その早道とは、
甘木インターを下りたら最初の交差点を右折して
そのまま3キロ直進すると、右手にセブンイレブンが見え
R386バイパスの交差点に出ます。その交差点を右折、
そしてすぐ次の信号を左折し、道なりに直進します。
ふくれん工場やセンチュリーゴルフ場の前を通って、
ずっと道なりに川沿いを進みます。(県道80号線)
それから美奈宜の杜入口のY字路にくるので、そこを左へ
登る(右へは行かない)で、屋形原から山道を越え、田代から
上の地図の上秋月交差点に出ます。Y字路からここまで約10分。
そのまま直進して秋月町内に入る(道が狭くなる)のが、
渋滞もなくスムーズで20分くらいで到着出来ると思います。
あと、駐車場は町内各所に看板が立ってます。(1回300円程度)
健康のために歩こう!という方は、地図の交差点を右折すると
すぐ農協跡があるので、車を駐めて正面の秋月八幡宮を登って
神社の裏を下りていくと、杉ノ馬場の桜並木に出ます。
登って下って10~15分ほど歩くと、いきなり賑やかな光景になります。
染井吉野は江戸の末期、東京は駒込にあった染井村の植木職人が
コマツオトメとオオシマザクラを交配して造ったサクラの園芸品種で、
現代の観賞用サクラの代表種、てゆーかそれしか知らなかった。
花だけが先に咲いて葉が後付きし、色合いが淡く奥ゆかしくて、
散り際が鮮やか、樹木自体も弱いことから日本人の
感性に合って、全国的に流行ったのでしょうか!?
でも桜の品種は相当たくさんです、桜の種類はこちら
百数十種、びっくり!
一度是非見てみたいと思っていた
林流抱え大筒の初撃ちを秋月城趾で見てきました。
約20キロの鉄のかたまり、実際に抱えてみましたが、
「ずしり」とくる重みが、自然と足を踏ん張らせます。
しかし、これを実際に構えて撃つとは・・・
本当に凄い流派だと思います。
撃ち方はココで↓↓
抱え大筒動画
さらに迫力のある動画は続きを!
抱え大筒と言う名称から、大砲を持って撃てば
破壊力があって機動性もあるという発想で
出来たのではないかと考えてしまいます。
この轟大な爆音は相手を威嚇するのにも
効力を発揮したと云われています。
いづれにしても凄い火器であることに間違いありません。
この平和記念館には、筑前町が建設した町立の
記念館で、中には特攻隊の遺書や遺品など、
当時の資料が展示され、戦争の悲惨さや
今日の平和の尊さを訴えかけています。
この地にあった陸軍大刀洗飛行場は、当時東洋一と言われ
太平洋戦争が始まると、最前線の飛行基地へ戦闘機を
送り出す重要な飛行場となりました。
この飛行場の歴史は、日本の航空界発展の歴史でもあり
同時に戦前からのこの地の動向を知る参考ともなります。
福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
TEL:0946-23-1227
http://tachiarai-heiwa.jp/
秋月に近い甘水(あもうず)地区は、旧秋月街道から
山手に入った所に位置する集落です。
その名の通り、自然とキレイな水に恵まれた地区で、
街中には水路が通り、
中心を流れる川は澄んでその周りに連なる水田を潤しています。
この地区で穫れたお米は、相当に美味しいんではないでしょうか。
甘水では、自然と一体となった里山の恵みが感じられ、
昔ながらの田舎の風景を見ることが出来ます。
今日は恵比須町の通りを紹介します。
恵比須町というか、甘木の中心に
どんと構える具島本家。
次の角には、浄土寺。子供の頃、ここの閻魔様の像が、
恐ろしくて境内に入れなかったです。
よく遊んだすべり台とその上には藤棚が、
昔のまま残っていました。
秋月に向かう道の信号を左に曲がると
甘木小学校、手前のたばこ屋さんもそのままです。
朝倉市上浦は国道322号線が通り、
西鉄甘木線の駅もある市南部の地区です。
紅葉が際立って、秋の風景が深まってきました。
四季の移り変わりは、景色の色合いや風の香り、水の冷たさや
旬の味わいなど、人の五感に触れながら毎年毎年過ぎていきます。
四季折々の風景をながめ、土や水を大切にあつかって
山や田畑でいろいろなものを採ったり作ったりして生活する。
そんなふうに日々暮らしていければいいだろうなあ
と、最近思うようになりました。(年齢的に)

朝倉の石成でこんな看板を見つけました。
名前からして興味津々、
いったいどんな木なんでしょうか。
調べてみると、ナンジャモンジャの木は
正式には「ヒトツバタゴ」という名前の木のことで
春には、白い花が雪が積もったように咲くそうです。
減反政策によって、稲作から転作された田んぼには
何が植えてあるんでしょうか??
青々とした葉っぱを除けてのぞき込んでみると、
美味しそうな枝豆が、たくさん実を付けていました。
もっぱら転作地には、大豆が植えてあります。
枝豆は、大豆の若い時みたいです。
転作耕地をあらわす御札
転作された大豆は、出荷されているのでしょうか?
輸入モノに比べると、国産モノは数倍の値段になるとか!?
大豆からは、豆腐、味噌、納豆や油揚げや醤油などなど、
いろんな食品が出来ますが、やっぱり国産大豆製のものを
いただきたいですね。ついでに、「お米を食べましょう!」
三個並ぶ大岩のうち一番北側の岩を
通称「腹切岩」と言っている。
その岩の上は平らで畳3枚が広げられる。
1587年3月、秋月種実(たねざね)の家臣
恵利暢堯(えりのぶたか)が、この岩の上で
切腹し、家族と共に死についたので、こう呼ばれるようになった。
1587年、九州征覇を目指す秀吉軍は中国地方を進み、
秋月種実は敵情視察のため、家臣の恵利暢堯を
広島へ派遣した。
秀吉軍の優れた装備と大軍を見た恵利暢堯は、
秀吉軍に勝てる見込無しと、秋月に戻り報告。
和睦を進言したが、種実はこれを受け入れず、
恵利暢堯は主家のために潔く諫死した。
(現地案内板より抜粋)
場所は上のグーグルマップを参照下さい。
中央の殉節碑は昭和11年に暢堯ゆかりの人々によって
建てられたもので、近くにある鳴渡観音は後年黒田長興の
入国にあたり、長興が暢堯の忠節に感じて
建立したものといわれています。
結局、秋月種実は秀吉に茶器を献上して降伏。
(秀吉の秋月攻めは、この茶器目当てだったとも言われる)
よって日向の国(いまの宮崎県高鍋町)に移封されたが、
江戸時代から幕末明治まで藩を治めました。
18世紀半ば、この日向高鍋藩6代主秋月種美の
次男として生まれ、後に米沢藩主となった人が、
「成せばなる成さねばならぬ何事も成らぬは人の成さぬなりけり」
の名句を残し、改革のリーダーとして世界的にも
有名な上杉鷹山(ようざん)です。
原鶴の道の駅 ファームステーション バサロ 前の
ひまわり畑がまだ梅雨だというのに、だいぶ咲いてきました。
道の駅「三連水車の里」もお客さんが多いのですが、
こちらも朝の開店と同時に新鮮な野菜や特産品を求めて
遠方からもお客さんが来られています。
おすすめは、巨峰ソフトアイスとパン工房のガーリックパン!
ここならではの一品だと思います。
これからは、巨峰や梨、有名な富有柿などフルーツ系が
出始めて、店内もまた一段と賑やかになるんじゃないでしょうか。
北部九州地方、梅雨入りはまだ!?
気象庁の梅雨入り宣言が曖昧なってからか、
梅雨の期間も年々マチマチになってるようです。

秋月の菖蒲園は、未だ五分咲き。これからが見頃です。
(場所は上のマップで)
廣久葛本舗に行くと、詳しく教えてもらえます。
秋月のずっと手前、下渕の川原(才田組の前)には
満開の菖蒲群がありました。

田植えも始まり、毎晩カエルの合唱が田舎の夜に
こだまし出します。紫陽花など、雨に栄える花も咲き出しました。
花よりビワ!枇杷は、梅雨の時期に実って食べ頃になるんですね。
子供の頃に、庭先や道ばたで ビワの実をちぎって食べた
記憶ある人、多いんじゃないでしょうか?
前回 梨の花がキレイだと書いたので、ご紹介します。
バラ科の植物ということで、よく見ると花びらが大きくて立派です。
歌舞伎や演劇の世界を「梨園」と呼ぶそうですが、
山の斜面一面に広がる梨の園は、4月の花の時期だけ
正に「梨園」という華やかな雰囲気があります。
ただ、花が咲いた後からの作業が大変なんだそうです。この小さ
な実を大きく育てるために 余計な実を選んで摘み(摘果作業)、
さらに袋を掛けて、ある程度大きくなったら再度袋掛けをして
ひとつひとつ丁寧に育てて、甘く大きな梨を作るそうです。
そうやって手を掛けてつくる梨ですが、中には果樹の枝打ちをしていない
伸びっぱなしで、雑木林みたいな梨畑もありました。
どこの農家もですが、後継者と老齢化の問題は大きな課題のようです。

朝倉市屋永、マンガ倉庫やGEO、メッカの並びに
完成したスーパーセンター「トライアル甘木店」
常設の駐車場がざっと300台、建物1300坪は、
単一店で市内最大。エブリディロープライスで、24時間営業!
今朝の新聞チラシも広げると、畳1枚ぐらいの大きさ、
品物が安いのかどうかよくわかりませんが、
有名な1缶29円のトラコーラはさすがに安いと思います。
先日閉店した比良松のトライアルもお客さんが多かったけど、
この大規模なお店は、甘木朝倉でどうなんでしょうか。
ダイレックスあたりは影響ありそうです。
明日朝9時30分オープンですが、周辺の道路は
市内でも割と交通量が多いとこなので、混雑が予想されます。

目の前のマンガ倉庫
アーケード商店街の衰退と逆に、甘木インターの前の
「文化会館通り」は、いつの間にか大型店が多数進出し、
通り沿いは、キッチリと店舗が並び、すき間も無くなりました。

ダイレックスから始まって、グッデイ、ダイソー、フタタ、
ヴィタリコ、ネッツ、西松屋、トヨタ、スバル、ナフコ、日産、
甘木パレス、ウエスト、ヤマダ電機、ジャスコ、マツダ、
亀の井ホテル、小麦治、三菱、ダイナム、ネッツ、日産プリンス、
スズキ、ホンダ、ベスト電器、ユニクロ、トヨタレンタリース、
あんくる夢市場、WASHハウス、どんどん亭、グリーンコープ、
しまむら、稲尾リース、エブリワンまでキッチリ埋め尽くされました。
空いているのは、インター通りを横断する道路用地の所だけです。
とうとう取り壊しが決まりました。
大幅に拡張した道路に生まれ変わるため、
早速4月から解体工事に入るそうです。
アーケードの完成は、昭和47年頃だったと思います。
総延長400m余りある商店街は、子供の頃の遊び場でした。
土曜夜市には甘木朝倉中の人が押し寄せて、賑やかで
家族で歩くのも大変だった記憶があります。
当時は50以上のお店があったと思います。特に玩具店の
ニノミヤ模型、ナルホ堂、トクダにはよく行きました。
あと、文林堂での立ち読みも。
甘木からは、無くなるものが多いですね。
解体整備で、新しく生まれ変わる商店街に期待します.。
小石原川 双葉町付近に架かる赤橋です。
今も昔のままに残っています。
双葉町や神田町に友達がいたので、良く遊びに行ってました。
公営の住宅はだいぶ建て替わりましたが、その頃のままに
残っている家も何軒かあります。当時は子供の数も多かった。
この橋の下で、手づかみで魚を取ったり、泳いだり。
親からは危ないから川で遊ぶなと言われてましたが、
お構いなしに網をもって走り回っていました。
双葉町や神田町の友達には、水難除けの「ひょうたんの首飾り」
をしている子が、何人もいたように覚えています。
本 年 も 宜 し く 御 愛 顧 の 程 お 願 い 申 し 上 げ ま す。
お正月の運動不足を解消すべく、丸山公園の最上部
「金比羅神社」まで 200段ほど階段を上って参拝して参りました。

園内は遊歩道が作られ、アスレティック遊具やベンチなども
設けられ、子供の頃遊んでいた公園とはだいぶ変わって
いましたが、忠霊塔の広場だけは相変わらずでした。
今年もあとひと月となりました。気忙しい歳末を前に
のんびりと景色でも眺めてみませんか。
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右を見れば博多方面、左を見れば筑後平野、真ん中に筑後川、
赤い橋は恵蘇宿橋、その向こうに霞んで見える脊振山系。
筑前筑後を見渡せる「平成ビューホテル」は、
原鶴の山頂に建つ、一度は訪れてみたい絶景ポイントです。

朝倉の昔話で、市内を流れる佐田川にまつわる話があります。
地元では、佐田川のことを「大根川」とも呼びますが、
これはその昔話からきていると言われます。
その昔、旅をしていた弘法大師がこの川辺を通りかかりました。
喉が渇いていた大師は、川で大根を洗っているおばさんに声を掛け
「その大根を少し分けてもらえないか」と、所望しました。
ところが、そのおばさんは弘法大師を貧しい旅の坊主と
みなし、大変邪険な扱いをして追い払ったそうです。。
それ以来、大根を洗う季節になると、この川の一部が枯れて
水が流れなくなるようになったというお話です。.
弘法大師伝説は日本各地に千数百あると言われ、
県内の他地区でも同じような話が語り継がれているそうです。
筑後川の初夏の風物詩、エツの話も有名です。
タイトルが意味不明な方もいらっしゃると思いますが
来春(ライハ)は立石地区の地名です。
けやき通りや386と交差する通りが奇麗に紅葉しています。
写真では、大平山の頂上も見えてますが、逆に頂上から見る
この通りもきれいな赤い線になって鮮やかです。
いろいろ調べてみましたが、この樹木は外国産の「モミジバフウ」
のようです。街路樹の人気ベスト5に入るとあり、落ちている
イガイガの実も図鑑と一致します。てっきりポプラだと思い込んで
いましたが、調べてみると全然違うものでした。
ポプラが紅葉すると思い込んでたのは、どうやら
コンビニのせい・・・、ということにさせて下さい(汗)。
稲刈り跡の田に竹林??
三奈木には、九州本土では珍しいサトウキビ畑があります。
この地区では江戸時代の昔から黒砂糖の精製が行われていました。
三奈木砂糖は栄養価の高い食品です。寒い時期に農協の製糖所で、
絞って煮詰めて昔ながらの製法で作られています。
普通の砂糖とは違って、ねっとりとした餡状になっていて香りが良く、
実際に食べてみると、香ばしくて甘過ぎず、そのまま
ずっと食べ続けてしまうくらい美味しいものです。
ただ値段も相当なもので「1パック2000円」くらいだったと思います。
(間違っていたらご免なさい) 以前はよくもらってましたが、
最近では、地元でも手に入れるのは難しいようです。
ところで、写真のサトウキビ畑ですが、実際に行ってみると、
葉は硬くザラザラとしていて、それが風が吹いて擦れ合うと
まぎれもなく「ざわわ、ざわわ」と音をたてます。
「あ~ざわわやん。ホントにざわわなんやな~」と感心しました。
三奈木でも奄美諸島でもキューバでもモーリシャスでも
風が吹き抜けるサトウキビ畑は、きっと「ざわわ」です。
筑前町のR386バイパス弥永交差点を北へ上ると、
大巳貴神社を過ぎて秋月への道が続きます。

隈江と夫婦石の境ほど、山手の方に
甘水の名水があります。
名水の組み場として、遠方から来られる人も多く、
古くから由緒ある名水と解説してあります。
20リットル100円で販売されています。

持丸にある才田組の採石場は、山が削られて
昔よりだいぶ後退してきました。
子供の頃からの見慣れた風景ですが、上のグーグルの地図を
航空写真に切り替えて見ると、構内には巨大な穴もあります。
もっと削れて来れば、いろんな利用形態も考えられますね。
できたら一度、構内に入ってじっくり見学してみたいです。


朝倉から田主丸へかかる両筑橋の手前を
筑後川沿いに上流へ上っていくと、左手の平野部は
水田とビニールハウスが、半々に広がっています。
この辺りが博多万能ねぎの名産地、「余名持」地区です。
大手広告代理店がプランニングして出来たブランドねぎ
「博多万能ねぎ」は、料理の必須アイテムとして
多くのお店や料理に受け入れられ、この地区を大いに潤しました。
「ねぎ御殿」が建ちならび、作付面積を把握するために
国税庁が航空写真を撮ったのも、膨大な追徴課税を
現金で支払ったのも、ねぎバブル時代の伝説です。

市役所の近く、堤から菩提寺へ東西にまたがる通りは、
けやき並木の葉が茂り、16m幅の道路を覆っています。
今の道路が出来たのが、もう27~8年前だったと思います。
それ以降、通りの大半を占める堤地区では、宅地開発が進み
朝倉の新興住宅街となりました。今では、住宅が戸数にして
千戸を超え、子ども会の遠足にはバスが十数台並ぶほどです。
けやき通りは、1,4kmほどの長さですが、未だ未開通の分があり、
計画通り完成すれば、東の柿原から小石原川に突き当たる
新河町まで約2,7km、今の倍ほどの距離になります。
もう回って水を汲み上げているかと、見に行ってみたら
まだ動いてませんでした。田んぼの準備も進んでいるので、
多分ここ2~3日で回り出すと思います。
江戸時代に旱ばつ(日照り雨不足による水飢饉)の激しい
この地域を何とかしようと工夫された水車による用水は
現在でもこの地域35haの田を潤す大切な財産です。
三連水車の里あさくら の三連水車
今年は梅雨入りが遅れているようですが、江川ダムの貯水率は
90%を超えており、今のところ水の心配は無いようです。
この夫婦石地区にある小石原川の頭首工(用水の取水施設)は、
福岡市の生活水を送る入口です。近くの甘水(あもうず)には
福岡市水道局の取水施設があり、ここから140万都市の
生活をささえる用水が送られています。
朝倉の奥座敷、福岡でも有数の温泉郷です。
昨今の不況、数件の温泉宿が閉店となりましたが、
先月の川開き花火大会や今週末から始まる
ハーブフェスタ in 原鶴など地元をあげてのイベントが
原鶴温泉の活況をあらわしています。


甘小なら誰もが遊んだ街中の公園ですが、
昔コーラ早飲み大会をやっていたステージの所が
壊されて、新たに道路が通りました。
それ以外は変わらずにあの頃の雰囲気を残しています。

三奈木の小川にホタルが出ていました。
今夜は三奈木公民館で、例年恒例のホタル祭りが
開催されます。この催しは毎年好評で遠方からも
多くの見物客で賑わっています。
求愛行動を表わすというホタルの光は、朝倉の初夏の風物詩。
さらに多くのホタルを見るなら、三奈木から寺内ダムを登って
約15分ほど行った黒川地区がお薦めです。
この辺りのホタルの乱舞は見れば必ず感動しますよ。
それにあまりに数が多いので、カメラで撮れます。
季節は、今月中旬くらいまでではないでしょうか。

国道386号線を日田方面に進み、旧朝倉町と杷木町の
境辺りにくると、南斜面の山一面に柿畑が広がります。
この志波(シワ)地区は全国でも有名な富有柿の産地で、
秋になると国道沿いに柿の産直販売所が林立し、
あちこちからの買物客で賑わいます。
地元でも「志波柿」といえば有名で、その甘さと歯応えは
食べた人でないと ”わからんわからん” です。
甘木鉄道の太刀洗駅舎を利用した大刀洗平和記念館が
キリンビール工場のすぐ近く322号線沿いにあります。
ここ記念館には旧日本陸軍の97式戦闘機が置かれていました。
(外にある飛行機は別です)
戦時中の遺留品や遺影、手紙や絵なども展示され、
大刀洗飛行場と平和祈念への思いが感じられます。

小石原川上流に昭和47年完成した県内一の貯水量(2400万t)を
誇る重力式ダムで、高さは79m、幅297mの大きさです。
福岡都市圏の水がめとして、多くの市民の生活を支えるダムです。
また江川ダムのすぐ上流には、このダムの倍ほどの「小石原ダム」の
建設が計画され、完成すると朝倉市のダムの総貯水量は一億t近くに
及び、まさに朝倉市自体が水資源といえるでしょう。

小さい頃、まだダムが出来る前に江川小学校の近くの
この川で泳いだ覚えがあります。川で泳ぐことも少なくなりました。
昭和53年の大渇水時には貯水率が0.1%のカラカラ状態になり、
ダムに沈んだ学校舎や家屋建物などが姿を現したこともありました。

阿蘇に水源を発し、福岡、佐賀、熊本、大分の4県を
140kmにわたって流域とする九州最大の河川です。
お隣の日田市では三隈川と呼ばれ、朝倉市から筑後川になります。
朝倉市には小石原川と佐田川の二つの水系河川が有り、
夏が近づくと、日田、原鶴温泉、朝倉、甘木、田主丸、久留米と
各地で花火大会があり、夏の間の賑わいを見せます。
また北部九州の水がめとして水系に多くのダムを持ち、
飲用をはじめ、農業や商工業を支える大切な河川でもあるといえます。

案内板によると、この樟の木は樹齢1500年以上といわれ、
高さ21m、幹周り18m、根元周り35m、全国第8位の巨木で、
国指定天然記念物となっています。
幹の部分には、ムクの木が取り囲まれるように生え、
伝説では、むかし朝倉に関所があった頃、昼間は通れない者が
この木があった森に隠れ、夜を待って関を越えたことから
この地を隠れ家の森と言うようになったとあります。
三連水車の里あさくらより東へ1キロほどの所に応神天皇、
斉明天皇、天智天皇を御祭神とする恵蘇八幡宮があります。
恵蘇八幡宮は西暦661年、37代斉明天皇が朝鮮百済救済のため朝倉町大字須川字長安寺の橘の広庭宮に皇居と大本営を遷された際、中大兄皇子(後の天智天皇)に命じ、国家の安泰と皇軍の武運長久を御祈願するため、宇佐神宮の御祭神、応神天皇の御霊を勧請されたのが始まりです。その社は屋根の隙間から天が見えるような粗末な建物で、天降(あもり)八幡と言われていました。その後、天武天皇の御代、西暦673年に斉明、天智天皇の二神霊とも合わせて祭るよう勅命により恵蘇八幡三柱大神と名づけられました。
昔は、朝倉郡、甘木市を含む総社でしたが、現在は朝倉町の総氏神になっています。現在の社殿は、本殿1772年、拝殿1807年に改築されたものです。恵蘇八幡宮背後の山上に斉明天皇の御陵と言い伝えている前方後円墳があります。
このことを日本書紀にはこう書かれています。百済の遺臣は悲しみを訴えて救援してくれるよう心をこめて願いました。そこで斉明天皇は67歳で女帝の御身のもかかわらずわが国の将来を思い直ちに百済救済の御命令を下され、西暦666年暮れ12月4日飛鳥の宮をおたちになり、大阪、瀬戸内海を経て博多にお着きになり、6月14日に大本営たる朝倉町橘の広庭宮に入られました。ところが当時悪い病気がはびこり、長い旅の疲れと御心労のため8月27日御年68歳で崩御なさいました。その後、皇太子中大兄皇子は斉明天皇の御遺骸を、一時朝倉山上に御ひん葬になり百済救援軍を進められました。そして白村江の戦いで我が国が負けた事をお知りになって、奈良県高市郡越知岡村へ御移しになったと記されています。
天智天皇は、斉明天皇の御ひん葬が終わると、直ちに朝倉山の山腹(今の社殿の近く)に木皮のついたままの丸木で、忌み殿をお建てになり1日を1か月に代えて12日間この丸太の小屋で喪に服されました。故に後世、人々が「木の丸殿」「黒木の御所」と呼ぶようになりました。当時の御製「秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ、我が衣手は露に濡れつつ」と、歌われ現在百人一首の筆頭歌に収められています。(以上、恵蘇八幡宮 宮司 上原実二氏より)

朝倉市で、道の駅といえば原鶴温泉の先、ひまわりの花畑で
有名な ”バサロ”がありますが、そこから西へ約5kmの386号沿い、
菱野地区に三連水車の里あさくらが先月末オープンしました。
地元の特産品や朝取りの新鮮な野菜などを販売するコーナーや
それらの材料を使ったレストランがあり、芝生の公園には三連水車の
モニュメントや遊戯施設も設置され、家族連れでも楽しめるところです。
この施設の運営は、市やJAが出資した会社が行なうもので、
今後の企画や取り組みなど、地元の活性化に期待したいですね。

寺内ダムサイドにある水と戯れる文化施設です。
入場料は無料で、大型の駐車場も完備、多目的グラウンドや
芝生の広場と遊戯施設、売店や休憩所もあり
子供さんと休日を楽しむにはもってこいの場所です。


朝倉市の北東、三奈木から高木への途中に寺内ダムがあります。

バスフィッシングを楽しむ人も多く、これから水位が下がる夏場あたりは
ダム周囲の水辺が広がり、釣り場所も増えてきます。
おかっぱり、いわゆる岸辺からの釣りでも結構な大物が釣れますよ。
市民の憩いの場、甘木公園のツツジが満開!
甘木公園(通称丸山公園)は市役所のスグ裏にあります。

工場見学の定番。
小学生の頃、ここで工場を見学して、最後に飲むジュースが
大変美味しかったのを覚えています。
今でも工場見学や場内ホタルツアー等楽しいイベントが開催されています。
正門の向かいにあるキリンビアファームは、野外でのジンギスカンや
美味しい料理と6種類の生ビールが楽しめます。
秋には恒例のコスモス畑が一面に広まり、遠方からも大勢の人が
やって来て、賑やかな光景が見られます。
西鉄甘木線に乗ると、いきなり「次はまだ~まだでございます」と
冗談のような車内アナウンスが・・・。
こんな笑い話も朝倉市内の地名からくるもので、
「馬田(まだ)」は朝倉市の南西部に位置する地区です。
この地区からは、弥生時代中期の住居群が遺跡として
発見されており、戦時中は旧陸軍太刀洗飛行場もありました。
(現在はキリンビール福岡工場)


秋月を流れる清流野鳥川に架かる眼鏡橋です。
長崎の石工を呼んで造られた。
1810年完成の御影石造りのアーチ橋。
昭和31年4月県指定有形文化財(建造物)に指定。
春は菜の花と桜、新緑の夏、秋は紅葉、冬の雪景色も味わい深い
四季折々の風景が美しい秋月の名所です。
すぐ向かいの「月の峠」というパン屋さんは
いつもお客さんで一杯です。
今が見頃。 夜桜もきれいですよ。

それにしても人出がスゴイ。毎年この時期はホントに多い。
この桜並木の通りに机置いて饅頭を売ったら
一日15万円売り上げたという伝説もあってか
たくさんの露店が出ています。
大己貴神社(おおなむちじんじゃ) -朝倉郡筑前町弥永-
日本で最も古い神社ではないかといわれる由縁は、
古代、この地方には豪族がいたと言われています。
その豪族が大和地方に上ってクニを作り、故郷を懐かしんで
付けた地名がそのまま奈良地方の残っていることから
(最も古い神社といわれる奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)
に祀られる神が大己貴神、近くに三輪山など似た地名が多い)
この朝倉の地が最も古い所ではないかという説があります。
(ちょっと簡単に書きすぎました)
この甘木駅前の石碑はキッパリ言い切ってますが・・・。
□□丸山公園に桜を見に行こう♪□□
甘木公園ともいいますが、地元では”丸山公園”で通っています。
池の周りを中心に桜の木が4000本!
桜が散ったあとに咲き出すつつじもきれいです。
駐車場も完備され、週末はお花見客でいっぱいです。
出店も多く、夜桜の賑わいもまた人気のスポットです。
そして県内でも有数のヘラブナ釣り場でもあります。
春の陽気に惹かれて、身体を動かしたくなる季節です。
春の野山を歩いてみませんか?
大平山は、甘木生れなら一度は登った(登らされた?)
ことがあるソウルマウンテンです。

CNJさんの案内を御参考下さい。私も昨年自転車で登りました。
頂上からの展望は見渡す限り最高! (結構ハードでしたが・・)
コース案内