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唐突に、 鬱蒼としてますが、何の木に見えますか?

答えは「檸檬」の木です。果実は、いま成長中。
今年は例年以上に実を付けているので、
10月頃にはたくさん配って回れそうです。
唐辛子も青から赤へそろそろ変身中です。
今年も柚子胡椒を作れそうです。
来年は伝説の黄色い唐辛子(赤の何倍も辛い!)
を植えたいと思っています。
さて明日は、甘木の花火大会、流れ灌頂です。
最近は雨続きなので、天気が良いことを願います。
お昼はカップ麺でも食べようかと、すぐ近くの
「あまぎの市」に行ったらお盆でお休み閉店。
じゃ近くのコンビニへと歩き出したが、考えてみると
近くのコンビニは甘木駅前のファミマかローソンしかない。
とてもこの暑さの中歩いていけるわけもなく、
アーケード商店街の千原酒店なら!と行ってみたが、
見事にお休みで、策尽きる・・・。
かつては甘木の中心だったこの地(市役所があった!)も
不便な極地と化し、あまぎの市が、老若男女(朝高生と
御老人方)で、ゴッタ返すワケがよくわかりました。
結局、車で柿原のセブンまで赴き、値上がりしたカップ麺と
懐かしいブラックモンブランを買ってやっと昼食にありつけました。
三個並ぶ大岩のうち一番北側の岩を
通称「腹切岩」と言っている。
その岩の上は平らで畳3枚が広げられる。
1587年3月、秋月種実(たねざね)の家臣
恵利暢堯(えりのぶたか)が、この岩の上で
切腹し、家族と共に死についたので、こう呼ばれるようになった。
1587年、九州征覇を目指す秀吉軍は中国地方を進み、
秋月種実は敵情視察のため、家臣の恵利暢堯を
広島へ派遣した。
秀吉軍の優れた装備と大軍を見た恵利暢堯は、
秀吉軍に勝てる見込無しと、秋月に戻り報告。
和睦を進言したが、種実はこれを受け入れず、
恵利暢堯は主家のために潔く諫死した。
(現地案内板より抜粋)
場所は上のグーグルマップを参照下さい。
中央の殉節碑は昭和11年に暢堯ゆかりの人々によって
建てられたもので、近くにある鳴渡観音は後年黒田長興の
入国にあたり、長興が暢堯の忠節に感じて
建立したものといわれています。
結局、秋月種実は秀吉に茶器を献上して降伏。
(秀吉の秋月攻めは、この茶器目当てだったとも言われる)
よって日向の国(いまの宮崎県高鍋町)に移封されたが、
江戸時代から幕末明治まで藩を治めました。
18世紀半ば、この日向高鍋藩6代主秋月種美の
次男として生まれ、後に米沢藩主となった人が、
「成せばなる成さねばならぬ何事も成らぬは人の成さぬなりけり」
の名句を残し、改革のリーダーとして世界的にも
有名な上杉鷹山(ようざん)です。
2~3年前から近所やAコープなんかで、
やたらと、この帽子をよく見るようになった。
この黄色いHB101の帽子は、ヤケに目立って
田んぼ作業のおっちゃんやスレ違う軽トラの
おいしゃんもみんな被っている。
当然、うちの親父も被っていて、
「どげんした?」と聞くと、「農協でもろた」。
このメーカーが作っている植物活性剤らしい。
宣伝を兼ねて、この帽子をばらまきバラ巻き。
どうりでみんな被ってるんだと納得・・・。

暦の上では、今日から秋ですね。
朝夕は、少し暑気も和らいだ感はありますが、
日中はむんむん蒸し蒸しで、相変わらずです。
写真は、「ピンクの彼岸花かな」と思って撮りました。
ユリのような感じですが、さて??何ていう花でしょう?

一昨年の作品です。2階の軒先にいつの間にか
出来てました。4~5日で作ったようです。
キイロスズメバチは古い巣に戻ってくることは無く、
今では自宅のオブジェみたいになっています。

今年も朝早くからブンブン音がするんで、捜してみると
作り始めてました。今年no営巣は1階の軒先です。 よく
蜂が低い所に巣を作ると、その年は大きい台風が来ると言います。
今年は、台風の当たり年になるんでしょうか??
勘弁して☆かです。